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どうやってカレーフェスが始まったのか、1年目の準備期間のことから書いていく。
今回、改めてカレーフェスの始まりについて書こうと思ってびっくりしたのだが、準備段階の頃のことをほとんど何も覚えていなかった。
カレーフェス開催中のエピソード(カレーまんと取っ組み合いのケンカをしたこと等)は印象深いものがいくつかあり、よく覚えているのだが、準備期間にしていたことはあまり何も覚えておらず、思い出せるエピソードが出てこなくて困ってしまった。
カレーフェスを始めようと思ったのが、2011年11月3日に第1回下北沢カレー王座決定戦をしたすぐあとだから、11月か12月のはずで、2012年10月に初開催するまで1年ある。
私は当時、イベントクリエイターという肩書で「誰もやったことのないようなイベントをやる」というコンセプトを掲げて「無職FES(フェス)」「ホームレスBAR」「見えないBAR」「葬式BAR」など、変な名前のイベントを企画運営していた。
ネット上に残された情報をたどると、2011年~2013年は以下のようなイベントをしていた。
【2011年】
2月23日 せたがやソーシャルビジネスコンテストに出場
2月26日 第1回無職FES~裸一貫から始めよう~
4月13日 第2回無職FES~革命が始まった~
8月28日 第3回無職FES~夏と言えばロックフェスだが、チケットがやたら高い。そうだ、金がない僕は、無職FESに行こう!~
10月15日 第4回無職FES~お母さんといっしょ~
11月3日 第1回下北沢カレー王座決定戦
11月23日 そうだ!浜岡原発行こう!日帰り温泉付き!今年話題の原発を、今年のうちに見ておくバスツアー
【2012年】
3月4日 せたがやソーシャルビジネスコンテストに出場
3月 劇団ほぼ無職を立ち上げる
3月27日 第1回世田谷区議会傍聴イベント「そうだ、傍聴に、行こう」
4月5日~19日 下北沢カレー王座決定戦スピンオフ企画「カレー教室だJ」(5日:カレー作りを教えるJ,10日:試食だJ、19日:仕入れだJ)
4月21日 第1回ホームレスBAR
5月19日 みえないバーwithイイトコサガシとシルバーリボン
6月6日 つぶれそうでつぶれない店
6月16日 下北沢カレー王座決定戦スピンオフ企画「カレーだJとタンドリーだっしょ!みなさんありがとうございました!!~どんぐり王国からの贈り物~」
6月30日 第2回ホームレスBAR(ホームレスと考える会 わらわらとの共催)
7月14日 「無職VS就労のトークバトル」
7月22日 第3回ホームレスBAR
9月29日 葬式BAR
10月15日~21日 下北沢カレーフェスティバル2012
10月20日 劇団ほぼ無職 第0回公演「カレーまん、下北沢を救う」
11月12日 第4回ホームレスBAR(箱舟に積むモノvol.5へ出張出店)
12月8日 映画「グッモーエビアン!」下北沢限定試写会
12月9日 CAPSULE2012「あなたの未来に僕たちができること」
12月21日~1月6日 シモキタコレクション~あの人が「ぬがせたくない」と思う服を着よう。~
【2013年】
2月10日 第8回ニート祭り(劇団ほぼ無職としてゲスト参加)
2月23日 第7回無職FES「こんなこと、最初で最後だと思う」
2月24日 劇団ほぼ無職 第1回公演「バーレスQ~シモキタ駅前伝説~」
7月20日 劇団ほぼ無職 第2回公演「漠然」
8月15日~18日 ばるばる下北沢「最高の一皿を決める食べ歩き~ 一皿総選挙 ~」
9月29日 劇団ほぼ無職 第3回公演「バーレスQ~シモキタ駅前伝説~」(再演)
10月11日~20日 下北沢カレーフェスティバル2013
過去の記録を読み返していて驚いたのだが、みえないバー(2012年5月)と葬式BAR(2012年9月)では香取薫先生というインド・スパイス料理研究家で、カレー界のすごい方がカレーを作ってお客さんにふるまってくれていた。
たしかにあの時のイベントで食べたカレーはとても美味しかった。カレーフェスを始める前だったので、まさかそんなにすごい先生が協力してくださっていたとは全く気づいていなかった。香取先生、その節はありがとうございました。カレー、すごく美味しかったです。
こうして過去の記録を書き出してみると、色々なイベントをやりすぎて、カレーフェスの準備に取りかかったのは2012年8月からで、それまで何も準備をしていなかったから何かをした記憶がないのかもしれない。
数少ない準備期間の記憶として、カレーフェスを始めるにあたりイベントを盛り上げるためのいいアイディアが浮かばず、行き詰っていたことはよく覚えている。
お盆に滋賀県の実家に帰省して、テレビのある畳の部屋で寝転びながらうんうんと煮詰まっていた。
煮詰まっていた理由は、下北沢の飲み友達からこんなことを言われたことが原因だった。
「カレーフェスって言うけど、下北沢のいろんなお店でカレーを食べるだけでしょ?それのどこがフェスなの?」
それはたしかにそうだなと思い、どうしたらカレーを食べるだけのイベントが「フェス」になるのかと考えたが、特にこれといった解決策が思い浮かばず行き詰っていた。
その友達は音楽が好きで、フジロックに行ったりするような人だったので、「フェス」という言葉のイメージが音楽のロックフェスにあったのだと思う。私が最初に企画したイベントは無職FES(フェス)だったのだが、私もフェスという言葉のイメージを音楽フェスから連想していた。ただ、当時は年末に幕張メッセで開催されているカウントダウンジャパンという音楽フェスに1回か2回行ったことがあるだけだったので「フェスとはこういうものである」というはっきりしたイメージがなかった。
そう考えると、ロックフェスが音楽のライブを「フェス」にしているものってなんだろう?「フェス」ってなんだろう?今、改めて考えてみても面白いテーマかもしれない。
カレーフェスを「フェス」にするために、私はイベントの中に「非日常」があることが重要だと考えている。
下北沢でカレーを食べるだけではたしかに普段カレーを食べる「日常」と同じだ。
しかし、カレーフェス期間中に、1日に3食カレーを食べたり、10日間で10食カレーを食べたりすることは「非日常」だ。
たくさん食べなくても、カレーマップに掲載されている100種類のカレーの中から1つのカレーを選ぶことも「非日常」だし、沢山の人がカレーフェスの黄色いマップを持って街を歩く光景も、カレーまんがラップを歌いながら街をうろうろしていることも「非日常」だ。
たくさんの「非日常」が増えて、下北沢カレーフェスは「フェス」になったのではないかと考えている。
話を2011年に戻す。
お盆に滋賀県の実家に帰省しながら、カレーフェスをフェスっぽくするためのアイデアを考えていたが結局何も思いつかず、一緒にイベントを立ち上げた仲間であるアイラブ下北沢の西山さんから「カレーフェス、どうしますか?(面白いイベントの企画できましたか?)」と(催促の)連絡が来て、アイデアがなんにも浮かばないので返答のしようもなく、返信をしないまましばらく放置し、西山さんを心配させた。
お盆休みが終わり東京に戻ったが、画期的なアイデアは何一つ浮かばないままだった。
ただ、カレーフェスを10月に開催することだけは決めていて、そろそろ準備を始めなくてはいけなかったので「これといったアイデアは思いつきませんでしたが、とりあえず準備を始めましょう」と西山さんに伝えた。
8月後半からお店を回り、参加店舗を募集する。同じくイベントを立ち上げた仲間の1人、アイラブ下北沢の阿部さんと一緒にお店周りを始めた。
最終的に43店が参加をしてくれた。阿部さんと分担して20店ずつくらい集めたような記憶になっていたが、1年目のカレーフェスのマップを見ると、岩井が10店くらいで、残りの30店は阿部さんが集めてくれたようにも見える。
お店周りのことで、1つだけはっきりと覚えているのが、最初に参加をOKしてくれたお店のことだ。
最初の1店がうまくいけば、そのあとはきっとうまくいく。
当時なぜかそう思っていて、最初にお願いにいくお店はここと決めていて、阿部さんと二人で訪問した。
最初が肝心と思いながら、事前に電話で連絡もせず、アポなしでお店を訪問した。
1番最初にお願いに行ったお店、それは、今、下北沢にあるカレー屋さんの中で1番古いカレー屋「茄子おやじ」だった。
当時、茄子おやじのカレーを食べたことは1回あるかないかだったが、雑誌にもよく載っていたので有名店だということは知っていて、下北沢でカレーフェスティバルを開催するにあたり、このお店には是非参加してもらいたいと思っていた。
昔からある有名店が参加してくれることで「あのお店が参加しているならうちも参加しよう」と思うお店が出てくることを期待していたのだと思う。
「茄子おやじ」「マジックスパイス」「般゜若(ぱんにゃ)」の3店は当時から有名で(私はこの3店を下北沢のカレー御三家と名付けたが、この呼び方は全然広まらなかった)ぜひ参加してもらいたいと思っていた。
茄子おやじ店主の阿部さんは、アポなしで突然現れ「今度、下北沢でカレーフェスをやりたいんですが、参加してくれませんか?」と言ってきた得体の知れない若者二人の話をじっと聞き「そうなんだ。参加費はいくら?」と言って、その場で参加を承諾し、参加費5,000円を払ってくれた。
私としては、いったん検討してもらい、後日返事をもらう流れを想定していたので、スムーズに話が進みすぎて驚いた。
驚いたけど、嬉しかった。
「カレーフェス、これはいける!」と思った。
その後「マジックスパイス」も快く参加してくれた。
「般゜若」は残念ながら参加してもらえなかった。
2012年当時は今より小さい店舗で営業されていて「カレーフェスに参加したい気持ちはあるが普段よりお客さんが沢山来てしまうと対応が難しいので」とのことだった。
しかし、お店のオーナーであり、タレントの松尾貴史さんは閉会式にゲスト出演するという形で協力くださり、下北沢のこれからや街のあり方について語ってくれた。
今でこそ、松尾貴史さんというと、忖度なしに政府の批判をする芸能人のイメージがあるが、2012年当時、私にとっては(おそらく世間的にも)そういうイメージはなかった。
「下北沢に大きい道路はいらない」とか、そういったテレビで芸能人が言わなさそうなことを閉会式のステージでお客さんを前にズバズバ言う松尾さんを見て「うわぁ、すごいいろいろ言うなぁ、この人。テレビの仕事をしている人が、こんなこと人前で言って大丈夫なんかなぁ」と思いながら聞いていた。
そもそも私が松尾さんのことをよく知らなくて、漠然と「テレビに出ている人」「タモリ倶楽部に出ていそうな人」くらいのイメージしかなかったのもあるが、人生で初めて接するテレビの中の人に、浮足立った。
私は閉会式の司会をしていたので、カレーまんと松尾さんが話をしているのを見ながら、2人の間に日常と非日常の境界面があって時空がぐにょぐにょと曲がって見えるような気がしていた。
1年目は参加店が43店集まり、10月15日~21日の1週間、カレーフェスが始まった。
8月後半から準備を始めて、10月15日にスタート。2か月弱の準備期間でよく間に合ったなと思う。
近年では10月の開催に向け、5月か6月に最初の打合せをして方針や企画の話をし、7月に店舗募集を始めているので、それと比べるととても短い準備期間だ。
最初の問題点であった「カレーフェスがどうしたらフェスっぽくなるか問題」についてはその後もいい解決策を思いつくことはなく、そのまま準備を進めてカレーフェスを開催した。
この件については現在まで、基本的には何も解決していない。
1年目も10年目も変わらず「下北沢でカレーを食べるだけ」のイベントのままだ。
運営予算、参加店の数、イベントの知名度がぐっと増えて、街路灯に旗をつけたり、駅前にテントを建てたりして立派になり、フェス感は出てきているが、やっていることは基本的には1年目とあまり変わらない。
カレーフェスって名前だからフェスなのだろうとなんとなく思っている人も沢山いると思うが、冷静に考えるとやっていることは「下北沢でカレーを食べて、スタンプをためて景品をもらう」なので、やっていることはスタンプラリーに近い。
でも「下北沢カレースタンプラリー」では気分が盛り上がらなかったと思う。
色々あったが、下北沢カレーフェスが本当に「フェス」になって、それを楽しみにして毎年下北沢に遊びに来てくれる人が現れるまでになってよかったと思うし、やってみると意外と結果オーライで大丈夫なこともあるのだなとも思う。
だが、最初の最初って実はそういうことですごく真面目に悩んでいたことを記録しておく。
(④につづく)
続きを一気に読みたくなったらnoteもあります。