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滋賀自賛

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年末、私の地元である滋賀県に住む同い年の友人から電話があった。
私は現在40歳で、2022年は本厄の厄年にあたる。
友人曰く、私や友人が育った滋賀県のその町では毎年1月に厄年の人を集め、
神社でお酒を飲んで半裸で町を走り回る行事があるそうだ。

神社でお酒を飲んだ40歳のおじさんたちが町を半裸で走り回る

※現在はコロナの影響でそういった行事は中止されていて「今回は厄年のおじさん達がお金を出し合って神社に物品(灯籠や旗など)を寄付することをもってその代わりとすることを検討している」と友人は言っていた。

自分の生まれ育った町とは言え、期間にすれば高校卒業までの18年しか住んでいないわけで、物心ついた年齢から考えれば10年ちょっとだから、知らないことがまだまだ沢山あるのだと思う。

これから私を含む滋賀県の厄年おじさんたちがお金を出しあって物品を寄付する予定の神社には、入口に「タイコ橋」と呼ばれる短い橋が架かっていた。太鼓のように円に近い角度でまるく湾曲した橋で、長さは短いのだが、まるく湾曲しているため、子どもの頃はその橋を渡るために助走をつけてダダダダっと駆けあがっていた。

タイコ橋と呼んでいた橋。子どもの頃はもっと傾斜がきつい感じに見えていた。


小学生の頃は何の疑問もなく駆けあがっていたが、そもそも、あんなに渡りにくい橋、いったい誰が何のために作ったんだろうと今さらながら不思議に思った。そもそもタイコ橋の横に道があるので、橋を渡らなくとも神社に参拝することはできるし。

いったい何のために作られた橋だったのだろう。

社会人になって、東京に住むようになって18年が過ぎた。
当面はこのまま東京に住み続けるつもりだが、滋賀県に住みたくないわけではない。実家の家屋や、かつて祖父母の住んでいた家屋はこれからどうなってしまうのか。どうしたらいいのか。自分はどうしたいのか。少しではあるが、ずっと気にはなっている。実家のことなど何も考えず、東京でぶらぶらしているが、私は長男でもあるのだ。父も長男で、うろ覚えだが、私は第6代目くらいの当主らしい。

長男を想起させる画像

この連載では、いつか東京と滋賀の2拠点生活をしたいなと思っている筆者が書きたいことを書いていく。
リアルに滋賀に行くことは年に1回か2回しかないけど、
東京にある滋賀のなにかを見に行ったり、
いろいろやりながら滋賀に思いをはせていく予定だ。
連載タイトルは「滋賀自賛」とした。
滋賀県のいいところをホメながら、時々、自分のこともホメていきたい。

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